木津屋ゆかりの川である大阪の木津川を、木津屋治郎兵衛がつづります
木津川はかつて、日本全国の物産の集積地として栄え、今も進化し続けています
土佐堀川、安治川、木津川の分起点
写真手前 : 昭和橋
奥に湊橋、端建蔵橋、船津橋が見える
2016年5月27日
昔、このあたりから尻無川と分かれていました
島の北端にあたり、名物の松の木がありました
写真 : 桜咲く松島公園
右:大阪市立西屋内プール
2017年4月4日
写真奥から
木津川大橋
木津川橋
右側の町 西区川口
2016年5月27日
写真奥から
湊橋 (土佐堀川)
昭和橋
木津川橋
木津川大橋
大渉橋
松島橋
伯楽橋
2017年10月15日
かつては、大渉橋と松島橋の間から尻無川が分かれていました
大正区の区の名前の元になった橋
木津川がなかったら、大正区という名前の区もなかったことになります。また、区名の候補の中には、木津川区というのもありました
しかし、大正区のもっとも隅っこにあり、東半分は浪速区であるということはおもしろいことです
大正区と浪速区をつなぐ大浪橋
かつて、このあたりから、七瀬川、三軒家川が分かれていました
2022年9月24日
木津川の橋
昔あった橋
木津川運河〜宝橋、入船橋 木津川入堀〜下落合橋、高鉄橋
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
木津川運河
かみんぐす〜ん
最盛期には、上の渡しのほか、今木渡、難波島渡、船囲渡、運河口渡がありました
江戸時代から明治の初めの渡
天神祭 宵宮
2014年7月24日
千代崎橋から大阪ドーム前歩道橋を望む
2014年7月24日
遊覧船かと思われます
2022年8月27日
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
大浪橋 ( おおなみばし )から南の方角を望んでいます
昔ここには、難波島という中州の島がありました
江戸時代、難波島の中ほどを貫く工事が行われ、木津川がまっすぐになりました
政商の河村瑞賢さんの指揮で行われました
それにより、二つに分かれた島の西側は難波島、東側が月正島となりました
2022年9月10日
ここで、「第一次木津川口の戦い」「第二次木津川口の戦い」がありました
木津城が近くに造られ、守られました
→ 木津城
その後も、大坂冬の陣において、木津川口の戦いがありました
幕末に台場(だいば)が造られました。台場とは砲台で、日本の色々な場所に造られました
元治2年(1985年)、台場は木津川の河口に2箇所造られましたが、今ははっきりした場所は判らなくなっています。判っていれば、東京のように「お台場」と言われてたかもしれません
かみんぐす〜ん
明治11年5月に造られました
(調査中)
かつては、国内最大規模の航空拠点でした
今の西成区津守は、開発された時、木津川島新田と呼ばれていました。のちに袴屋新田、津守新田と名前が変わり、今の北津守・南津守となっています
産物と云っても昔の産物です
木津川蜆 ( しじみ )の名が、「大阪産物名物大畧」という文献に見られます
大阪産物名物大畧は、「国宝大阪全図 改正増補」(伊丹屋善兵衛 文久3年1月)に記載されています
木津川 ← 木津の地名 ← 木の津 ← 四天王寺建立の木が集められた津
という流れですが、詳細は今後の研究課題です
【 そのほか、木津川の名前を冠したもの 】
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
かみんぐす〜ん
昔、大阪の海は難波八十島 ( なにわやそじま )と呼ばれ、たくさんの島々がありましたが、木津川のあたりにも多くの島々がありました
木津勘助は、寛永7年(1630年)に木津川の治水工事を行いました。浚渫(しゅんせつ)という、水深を確保する工事です
木津川近く、大正区の三軒家東に八坂神社が御鎮座しています。正保4年9月(西暦1646年)、木津勘助が京都の八坂神社のから勧請したことが起こりです。境内には木津勘助の彰徳碑が建てられています
正徳2年(1712年) 洪水
安政元年(1854年) 6月14日 大地震
11月4日 再び、大地震
11月5日 地震 津波 3m
かみんぐす〜ん
【 支流など 】
かみんぐす〜ん
木津川と尻無川をつなぐ岩崎運河
写真 : タグボート大正 岩崎運河の起点
2022年9月4日
木津川から岩崎運河が分かれ、尻無川とつながる
写真 : 尻無川の起点
2022年8月29日
昔は本田から分かれ、千代崎の町を流れ、この写真のところにつながっていました
京セラドーム大阪の、真ん中あたり流れていました
今は埋め立てられて存在しない川です
難波島の中ほどに木津川を通す工事がされましたが、それまでは、この七瀬川が、木津川の元の流れでした
2022年9月24日
七瀬川の名は、今はどこにも残されていないようですが、唯一、七瀬大明神の祠が、その名を伝えています
七瀬川跡 ( 月正島 )から、木津川の向こうの難波島の方角を望む
写真 : 十三間堀川の痕跡 〜七瀬川から分かれたところ
七瀬川と同じく、木津川の元の流れの一つでした。木津川から分かれ、木津川に注いでいましたが、早い時期から三軒家川と名付けられていました。
京都の木津川とは関係ありません
淀川水系ということでは、つながっていますが、まったく別の川です
名前は同じですが、その由来は違います
ただ、木津という地名の発生は、似通ったところがあります
しかし、伊賀の青山高原を源に三重の町、そして京都を流れ、大阪に入り淀川に注がれ、その先で大川、そしてまた木津川へとつながるというは、なにか趣きがあります
木津川の「 木津 」とは → 木津