徳川家康

 徳川家康、および徳川家と木津屋についてのお話です


松平家

明々庵


 徳川家を生んだ三河の松平家 ( まつだいら )

 当家とつながりは、徳川家康が徳川家をつくる前の松平家の時代にさかのぼります


明々庵


 松平家は、三河国、尾張国の武家との結び付きがありました


 写真 : 雲州松平家の松平不昧公が建てた茶室、明々庵
 ( 島根県松江市 2017年1月 )


長良川


← 写真 : 長良川 (三重県桑名市)  2024年

 川の向こうに長島城があり、久松松平家が城主であった

 徳川家康は、長良川(岐阜)で鵜飼の見物をしました



大河内氏

 【 木津屋のご先祖、大河内家 】  〜 三河国

 徳川家康といえば松平家が有名です。宗家という観点では松平家となりますが、血統で観ると、三河の大河内家 ( おおこうち )という家が大きな部分を占めています

 徳川家康の祖母は、大河内家の娘です
 徳川家康の祖母については、他の説もありますが、それもまた大河内家です

 徳川家康の祖父 松平清康も、母が大河内家の娘です


 大河内家は、三河国の寺津城の城主です  (愛知県西尾市寺津町御屋敷25)


大河内政局

 大河内家と云えば、大河内政局 ( おおこうちまさふさ )が有名

 大河内政局 ( 大河内源三郎 )は、徳川家康と武田勝頼の高天神城の戦いの折、武士道の極みを貫き8年間の幽閉にも耐え、その後も活躍しました


源氏

多田神社


 大河内家は源氏( 摂津源氏 )で、その流れを汲む徳川家康。松平家は河内源氏の流れもありますが、その流れは木津屋のご先祖と重なります。徳川家康と木津屋は源氏つながりでもあります

多田神社/多田院 ( 2017年5月 ) : 清和源氏 発祥の地 →



大橋氏

奴野城跡


 【 木津屋のご先祖、大橋家 】  〜 尾張国

 徳川家康の高祖父のひとりは木津屋のご先祖です。曽祖母のひとりも、大橋家の娘です


 大橋家 : 奴野城 ( ぬのや )の城主  尾張津島天王祭の起源となった家

写真 : 奴野城跡の西方寺


 ご先祖 大橋源左衛門重一は、美濃国に高須城を築きました (岐阜県海津市海津町高須町)


世良田氏

 松平家のルーツである上野国 ( こうずけのくに )の世良田家 ( せらだ )。今の群馬県です

 世良田家も木津屋のご先祖で、徳川家康と共通の血筋のひとつです


戦国時代の系図

 よく見られる戦国時代の系図には、女の人がほとんど書かれていません。また子供も一部であったりします。そのために、そのような系図からは、血筋の半分以上が見えていません

 徳川家を生んだ松平家には、大河内家、水野家などの血が流れていますが、水野家と大河内家、大河内家と大橋家の間でも多くの血縁があり、親戚であります

 女系、外戚に目を向けると、歴史のおもしろい部分が見えます


安祥

 安城 ( あんじょう )、昔は安祥と書く

三河安城駅


 安祥城がありました

 松平家は、この安祥の地から勢いをつけていきました

 安祥松平家2代当主 松平信忠のもとに、木津屋のご先祖の娘が正室として嫁ぎました


 ↑ 三河安城駅  (木津屋治郎兵衛、お導きにより朝早く参ることとなる 2017年6月 )



紀州徳川家

紀州徳川 三つ葉葵


 徳川御三家のひとつである紀州徳川家 ( 紀伊徳川家

 木津屋の本家である日下山願泉寺は、紀州徳川家が、大阪へのぼる時の宿としておりました。また、願泉寺から出陣したこともございました


 ↑ 日下山願泉寺の寺紋は、徳川家の「 葵の紋 」 (三つ葉葵の紋章)

粉河寺


 (木津屋治郎兵衛ゆかりの地)

 紀州徳川家の庇護のもとに再建された風猛山粉河寺

日光東照宮の陽明門に似た、粉河寺の中門 →
 扁額の「風猛山」の書は、徳川治宝候の直筆 



NHK大河ドラマ 「 どうする家康 」

 令和5年(2023年)、木津屋はNHK大河ドラマ 「 どうする家康 」の応援キャンペーンを催しました

どうする家康


 NHK大河ドラマ 「 どうする家康 」が放送されました

 「大河」と徳川家のルーツ「大河内」が重なって、おもしろい現象だと感じました

 徳川家康は、過去にも2回、大河ドラマの主人公になっていますね


戦国武将

 ★ 「 どうする家康 」には、織田信長ほか、木津屋につながる武将が出てきます

  and more   戦国時代の血のつながりは、とてもおもしろいです

どうする家康


 木津屋は、「 どうする家康 」をリスペクトしています!

← 写真 : YouTubeでPR



直系の子孫

豊崎神社 東照宮社


 このページのご先祖という言葉は、すべて「 直系の先祖 」「 直系の子孫 」を表しています

 長い年月のことで、100%の確定は難しいですが、基本的には「 血の繋がり 」(血筋・血統) を表しています

東照宮社 (豊崎神社) →
徳川家康ゆかりの地  




 十三世 木津屋治郎兵衛

 徳川家康公との共通のご先祖(徳川家康の高祖父)から数えて、20代目の子孫です



尾張

 尾張の地と木津屋は、とてもご縁があります。上に記された鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代・江戸時代より遥か昔、神武天皇が即位される前から尾張の地にいた尾張氏の血を受け継いでいます

 草薙剣を祀り初めた時から平安時代にわたり、熱田神宮の大宮司でありました


 三河・尾張、徳川家まわりの研究

 【 木津屋 】 大阪府大阪市西区南堀江4-23-27  06-4391-0704


 情報などをご提供頂けると幸いです。質問などもおきがるにお尋ね下さい


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