徳川家康、および徳川家と木津屋についてのお話です
徳川家を生んだ三河の松平家 ( まつだいら )
当家とつながりは、徳川家康が徳川家をつくる前の松平家の時代にさかのぼります
松平家は、三河国、尾張国の武家との結び付きがありました
写真 : 雲州松平家の松平不昧公が建てた茶室、明々庵
( 島根県松江市 2017年1月 )
【 木津屋のご先祖、大河内家 】 〜 三河国
徳川家康といえば松平家が有名です。宗家という観点では松平家となりますが、血統で観ると、三河の大河内家 ( おおこうち )という家が大きな部分を占めています
徳川家康の祖母は、大河内家の娘です
徳川家康の祖母については、他の説もありますが、それもまた大河内家です
徳川家康の祖父 松平清康も、母が大河内家の娘です
大河内家と云えば、大河内政局 ( おおこうちまさふさ )が有名
大河内政局 ( 大河内源三郎 )は、徳川家康と武田勝頼の高天神城の戦いの折、武士道の極みを貫き8年間の幽閉にも耐え、その後も活躍しました
大河内家は源氏( 摂津源氏 )で、その流れを汲む徳川家康。松平家は河内源氏の流れもありますが、その流れは木津屋のご先祖と重なります。徳川家康と木津屋は源氏つながりでもあります
多田神社/多田院 ( 2017年5月 ) : 清和源氏 発祥の地 →
【 木津屋のご先祖、大橋家 】 〜 尾張国
徳川家康の高祖父のひとりは木津屋のご先祖です。曽祖母のひとりも、大橋家の娘です
大橋家 : 奴野城 ( ぬのや )の城主 尾張津島天王祭の起源となった家
松平家のルーツである上野国 ( こうずけのくに )の世良田家 ( せらだ )。今の群馬県です
世良田家も木津屋のご先祖で、徳川家康と共通の血筋のひとつです
よく見られる戦国時代の系図には、女の人がほとんど書かれていません。また子供も一部であったりします。そのために、そのような系図からは、血筋の半分以上が見えていません
徳川家を生んだ松平家には、大河内家、水野家などの血が流れていますが、水野家と大河内家、大河内家と大橋家の間でも多くの血縁があり、親戚であります
外戚に目を向けると、歴史のおもしろい部分が見えます
安城、昔は安祥 ( あんじょう )と書く
松平家は、この安祥の地から勢いをつけていきました
安祥城がありました
↑ 三河安城駅 (木津屋治郎兵衛、お導きにより朝早く参ることとなる 2017年6月 )
徳川御三家のひとつである紀州徳川家 ( 紀伊徳川家 )
木津屋の本家である日下山願泉寺は、紀州徳川家が、大阪へのぼる時の宿としておりました。また、願泉寺から出陣したこともございました
↑ 日下山願泉寺の寺紋は、徳川家の「 葵の紋 」 (三つ葉葵の紋章)
(木津屋治郎兵衛ゆかりの地)
紀州徳川家の庇護のもとに再建された風猛山粉河寺
日光東照宮の陽明門に似た、粉河寺の中門 →
扁額の「風猛山」の書は、徳川治宝候の直筆
現在、NHK大河ドラマ 「 どうする家康 」が放送されていますが、「大河」と「大河内」が重なって、おもしろい現象だと感じます
木津屋は、「 どうする家康 」を応援しています!
★ NHK大河ドラマ 「 どうする家康 」には、織田信長も出てきますが、織田信長のお姉さんは、木津屋のご先祖 大橋家に嫁ぎました
井伊直政の先祖、井伊道政 ( 井伊谷城を築く )は、木津屋のご先祖です
服部半蔵の服部家も、木津屋のご先祖です and more
戦国時代の血のつながりは、とてもおもしろいです
このページのご先祖という言葉は、すべて「 直系の先祖 」「 直系の子孫 」を表しています
長い年月のことで、100%の確定は難しいですが、基本的には「 血の繋がり 」(血筋・血統) を表しています
東照宮社 (豊崎神社) →
徳川家康ゆかりの地
十三世 木津屋治郎兵衛
徳川家康公との共通のご先祖(徳川家康の高祖父)から数えて、20代目の子孫です
三河・尾張、徳川家まわりの研究
【 木津屋 】 大阪府大阪市西区南堀江4-23-27 06-4391-0704
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