読売新聞 わが町伝言板

 「読売新聞 YC心斎橋」さん発行の「わが町伝言板」に、木津屋の歴史を連載しています。このページでは、その記事のバックナンバーをご覧になって頂けます。


木津屋と堀江の歴史

屋号

No.1  2017.6.15

四天王寺を建てるとき、ご先祖様の屋敷の前に、木材を集めました。ここから、「木の津」「木津」の地名が生まれました。長年その地は「木津村」と呼ばれていました。今の大国町あたりです。


名跡襲名

No.2  2017.7.20

代々、木津屋治郎兵衞の名跡を襲名しています。昔の商家ではよくありました。また、「字」より「音」を重視し、「次郎兵衞」と表した代もございました。婿養子が襲名することもございます。


堀江

No.3  2017.8.17

今はにぎやかな堀江も、約300年前までは、葦が茂るような湿地帯でした。幕府の命で、堀が掘られ、その土で周りの盛土を行いました。その結果、改良された土地と、運河としての堀江川ができました。


大阪大空襲

No.4  2017.9.21

「日吉幼稚園」の場所に木津屋はありましたが、大阪大空襲で、堀江の町は焦土と化しました。当家も焼け、当主やお家さん等は、帝塚山の親戚の家に身を寄せるなどしました。しかしその後、元の場所では、お家を再興できませんでした。


薬種屋

No.5  2017.10.19

昔は、薬種商などとも呼ばれておりました。今の漢方薬屋に近いですが、和薬も扱っていました。NHK連続ドラマ小説「わろてんか」が放送されておりますが、あのような感じです。木津屋は、このドラマの制作協力をさせて頂いております。 (11月11日 千里で講演します)


木津

No.6  2017.11.16

木津屋の「木津」は当家の歴史からきていると、No.1でお話しました。そばを流れる「木津川」や、西成区「木津川」の町名、「木津市場」など、大阪で、木津と名の付くものは、すべて当家に端を発しています。「元祖 木津」でございます。


襲名十周年

No.7  2017.12.21

12月17日、当主は木津屋治郎兵衛の名跡、襲名十周年を迎えました。かつて、大店(おおたな)と呼ばれた大きな商家では、襲名はよくおこなわれていた慣わしで、珍しいことではございませんでした。しかし、商いの近代化とお家制度の廃止 により廃れていき、今ではほとんど見られなくなってしまいました。


小野妹子

No.8  2018.1.18

木津屋は商家でございますが、その起こりは、本家のお寺から分家したことに拠ります。浪速区にある願泉寺がそれで、初代のご院住は小野妹子の八男である小野義持です。以来、当寺は小野妹子の末裔によって守られ、木津屋日下家も小野妹子の血を今に受け継いでいます。


老舗

No.9  2018.2.15

どのようにして、お家が長く続くか? その答えはシンプルでございます。お家の存続を最も重んじているからです。「牛のよだれ」といわれるように、細くても良いから途切れないことを良しとし、大儲けや店を大きくすることを二の次に考えているからです。「暖簾を守る」ことに力を尽しているからです。


奴の小万

No.10  2018.3.15

歌舞伎の演目に「奴の小万」というお話がございます。主人公、お雪の生家が「木津屋」(鰻谷)です。江戸時代、大坂の町で名をとどろかせたお嬢さんです。後に仏門に入り、三好正慶尼と名乗りました。小説家の松井今朝子さんが、著書の「奴の小万と呼ばれた女」で、みごとにお雪を蘇らせています。


のれん

No.11  2018.4.19

暖簾(のれん)とは、お店の名で、商家が最も大切にしていました。のれん分けは、今の本店・支店に似たものですが、直接の経済的つながりはなかったようです。当家のお寺には、木津屋と彫られたお墓がいくつか残っております。暖簾分けされたお店と考えられていますが、資料が少なく調査・研究中です。


木村蒹葭堂

No.12  2018.5.17

昔、堀江には歴史的なサロンがありました。坪井屋という造り酒屋です。当主は木村蒹葭堂(けんかどう)といい、多才な文化人で収集家でもありました。木津屋のご先祖も遊ばせてもらいました。芸術家や書道家、学者など、著名な人が多く出入りし、彼のその記録は、江戸時代の研究の貴重な資料です。


木津城

No.13  2018.6.21

「木津城」というお城がございました。織田信長と本願寺勢力との石山合戦において築かれたお城で、今の西成区出城のあたりです。平城ですが、とても大きな敷地でございました。十年にも渡って続いた戦を、大いに支えたお城です。木津屋のご先祖である、願泉寺の定龍が、城主でございました。


日吉小学校

No.14  2018.7.19

大阪市立の日吉小学校ですが、校舎の建築は、地元の有志によってなされました。商家の旦那衆などがお金を出し合いましたが、八世木津屋治郎兵衛も、筆頭者に次ぐ私財の提供をおこないました。また、江戸時代寛保年間には木津屋吉兵衛が、私設の学問所を開いています。


古民家再生

No.15  2018.8.16

今の木津屋は、築60年の古民家です。建築時より古材が使われ、希少な構造の建物です。木の魅力を引き出し、更におもしろいアイデアを取り入れた古民家再生に取り組んでいます。見学会も催しています。


日下

No.16  2018.9.20

木津屋は屋号で、姓は日下(くさか)です。ご先祖が聖徳太子様より賜りました。45代ほど前です。日本は昔ヒノモトと云われており、日下は国号と同義であると考えられます。日下姓は、徳島県や宮城県白石市に多く見られ東大阪市に地名があります。「日下友の会」入会募集中です。


歴史小説

No.17  2018.10.18

木津屋が登場する歴史小説が刊行されました。朝井まかて 著「悪玉伝」です。堀江が舞台で、史実に基づいた話です。「奴の小万と呼ばれた女」「辰巳屋疑獄」(松井今朝子 著)とう小説でも、木津屋が舞台になりました。これらの木津屋は木津屋治郎兵衛と同族です。大坂の歴史が学べますよ。


蒹葭堂の意志

No.18  2018.11.15

江戸時代の多才な文化人、木村蒹葭堂の意志を引継いだサロンが、木津屋で開かれています。芸術家や書道家、学者などの著名人が、蒹葭堂に集いましたが、木津屋にも様々な方が参られています。豊年会もその一つです。おきがるにお越し下さい。二百数十年の歴史!


神農さん

No.19  2018.12.20

江戸時代、日本の薬の商いは、道修町(中央区)が中心でした。道修町で改めた品は、最高のブランドで、義務付けられていた時期もありました。また、大坂の薬種の商家は、道修町にご鎮座する少彦名神社(神農さん)にお参りし、商いの繁盛を祈願してきました。今でも秋の神農祭は、とても賑わっています。


とくわ小路

No.20  2019.1.17

今、木津屋があるのが、とくわ小路(こみち)。漢字で「十九和」と書き、昔この地に、十九軒の家が仲良く建っていたことに拠ります。平成も終わりの今も尚、昭和の香りを残しています。蝶が舞い、小鳥がさえずる小路。堀江の名所として、世界中から人々が訪れるように、皆で楽しく盛り立てていきます。


千代崎

No.21  2019.2.21

千代崎は堀江の西隣。ドーム球場が有名です。堀江から千代崎橋を渡って少し先の花園橋に、「八千代座」という劇場がありました。松下幸之助がお見合いをした所です。その先にはチンチン電車が走っていました。大阪で一番初めにできた路線で、築港桟橋まで続いていました。この辺り、昔はとても賑やかでした。


No.22  2019.3.21

ご期待ください 

大阪の歴史

 木津屋の歴史とともに、木津屋のある「堀江」という町、そして、木津屋に関わりのある大阪および近畿の歴史を綴っていきます。

 時代は、聖徳太子さまの飛鳥時代あたりから現在まで、長きに渡っていきます。


「読売新聞 YC心斎橋」さん発行の「わが町伝言板」は、毎月第3木曜日に発行されています。

お問合せは、「読売新聞 YC心斎橋」さんか、木津屋まで。

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