木津屋治郎兵衛 日記

十三世 木津屋治郎兵衛の日記は、気まぐれブログでございます。


まち歩き 堀江界隈〜木津屋 2017年6月19日(月)

堀江 まち歩き 堀江界隈のまち歩きがございました。堀江の中でも西側の閑静な地区です。古い歴史のある所を色々とまわって、旧木津屋跡地と木津屋にもお立ち寄り頂きました。

 木津屋治郎兵衛が案内人をさせて頂きました。我が町を散歩しながら自慢話の数々で、楽しくやらせて頂きました。

 改めて、堀江の良さを感じさせられました。


「なにわ名物開発研究会 地域資源開発部会」 2017年6月9日 日曜日


木津屋の旅 〜妹子隊がゆく 2016年6月3日(金)

日前神宮・國懸神宮 先の日曜日、「木津屋の旅」に出かけてまいりました。木津屋の旅とは、木津屋にご縁のある方が集って行く旅のことでございます。「紀の國 単線列車の旅」と名付けて、和歌山県の貴志川線あたりで遊んできました。

 日前神宮・國懸神宮と、伊太祈曽神社にお参りをいたしました。伊太祈曽神社は木の神様をお祀りされており、とても木津屋にふさわしい神社であると感じました。もちろん、世界的に有名な「たま駅長」ともお会いしてきました。

 「第4回 木津屋の旅」 平成28年5月29日  写真:國懸神宮



篝の舞楽 2015年9月27日(日)

篝の舞楽 四天王寺さんの篝の舞楽(かがりのぶがく)に行ってまいりました。慣れ親しんだものではございますが、いつも曲と舞の解説をして頂いていた小野功龍さんのお声を聞けず、とても寂しい「篝の舞楽」となりました。しかし、功龍さんの残されたものは、未来永劫、脈々と受け継がれていきます。天王寺学所の雅楽、舞楽の中にも、功龍さんは生き続けられているのです。そう思って、これからも天王寺舞楽に親しんでいきたく思います。

 (小野功龍さんについては、一つ前の記事をご覧下さい)


木村蒹葭堂 肖像 この日はまた、とても素晴らしいご縁を頂きました。「木の津の集い」でお世話になっている木村蒹葭堂さんの晩酌人である、細合半斎(ほそあいはんさい)さんの末裔の方との出会いです。いつもながら、奇跡的なご縁です。

 「第61回 篝の舞楽」 平成27年8月4日 四天王寺伽藍内 講堂 前庭



小野功龍 2014年9月5日(金)

小野功龍 木津屋の本家である日下山願泉寺の御院主、小野功龍(おのこうりゅう)さんが御逝去されました。小野功龍さんは、御仏様のお勤めはもとより、生涯を通して、伝統芸能「雅楽」「舞楽」の継承と発展に貢献されました。また、相愛大学・相愛女子短期大学で教鞭をとられ、これらの大学の学長も務められました。功龍さんは、その功績を認められ、昨年度の日本芸術院賞、さらに恩賜賞にも選ばれ、先の七月一日に授賞式に招かれました。天皇陛下、皇后陛下より直々に賞を頂かれ、縁ある者として、とてもうれしい限りでした。十月には、その祝賀会も予定されておったその矢先のことで、本当に驚くばかりです。

 日下山願泉寺は浄土真宗本願寺派のお寺でございます。浄土真宗では、御逝去されたことを「往生の素懐(そかい)を遂げられた」と申します。つまり、不幸ではございません。願い焦がれた極楽浄土へ御往生されたのですから、悲しいことではないのでございます。とは申しましても、今生、肉の目では功龍さんを見ることは、もう叶いません。肉の耳でお声を聞くことも、もう叶いません。残された者が寂しく感じることは、いたし方ございません。今こうしていましても、願泉寺の歴史や昔の木津の地ことを語って頂いた時のことが、きのうのことのようによみがえってきます。それとともに、もっと色々なお話をしておけば良かったと悔やまれます。実際、御往生の半月前にはお会いしていたのです。しかし、その時にはこうなるとは夢にも思わず、軽いお話しかしませんでした。それが今、とても悔やまれてなりません。

 心よりお念仏申し上げます。 (8月30日御往生 77歳)



14世ダライ・ラマ法王 2013年11月27日(木)

ダライ・ラマ14世 奇跡です。ダライ・ラマ法王とお話をするという機会に恵まれました。昔から尊敬していた方と同じ場所に居れるだけでも幸せなのに、近くで対話ができるという夢のようなできごとでございました。その時から、これからの残りの人生、そして来世も、「慈愛の心」で生きていきたいと思うようになりました。また、チベットのためにできることを考えてやっていきたいとも考えています。このことについては、法王様にもお聞きいたしましたが、まずは関心を持って、チベットのことをもっと知っていこうと思います。そしてそれを人に伝えていきます。きっとチベットには、自分の知らない素晴らしい文化がたくさんあるはずです。楽しくやっていきます。合掌。

 14世ダライ・ラマ法王は、京都精華大学に招かれて講演をされました。法王の講演が終わった後に、その奇跡の時間は訪れました。感謝いたします。

 平成25年11月24日 日曜日 国立京都国際会館


テレビ出演 2013年10月5日(土)

テレビ出演 先日、毎日放送の長寿番組「ちちんぷいぷい」に出演いたしました。撮影は、当家の御先祖である小野妹子のお墓の前で行われました。私は子孫を代表して、小野妹子の偉業を熱く語りました。聖徳太子様に仕え、日本の歴史上とても大きな仕事をした小野妹子ですが、今に伝わる文献が少なく、あまり語られることが少ないのも事実です。これからも色んなメディアを通じて、この日本の宝を広く伝えていきたいと思います。

 出演:西靖 桂南光 堀ちえみ 佐藤弘道 廣田遥 くっすん 河田直也 古川圭子 他(敬称略)
 放送:2013年9月19日  ロケーション:2013年9月10日


弓道 2012年10月14日(日)

弓道 弓道を初体験いたしました。前々から弓道には興味があって、一度やってみたいと思っておりました。何か日本人の血が騒ぐというのでしょうか。幼少の頃、裏庭に生える竹でお手製の弓を作り、矢を射って走り回っていたことが、とても懐かしく思われます。慌しく時が流れる町中で住まいをしておりますと、「気が向いたら弓道場へ行って心行くまで弓を引く」などという暮らしに憧れを感じます。その内、時間を作り師匠に付いて習いたいと思います。弓道を一度始めたら、きっと生涯の趣味になると思います。

 弓道初体験 大阪城弓道場にて 平成24年10月8日 月曜日



跡取り息子 2012年8月17日(金)

跡取り息子 先日十四日、当家に赤ちゃんが生まれました。第六子で五男でございます。聖徳太子様から賜った日下(くさか)の名を、後の世代に繋げていける可能性が更に深まり、とても有り難く思います。私は、聖徳太子様から賜った日下姓を継承されているお家をほとんど存じ上げておらず、太子様から連綿と続く歴史を、後の世に繋いでいく責任を強く感じております。また商いの木津屋の方でも、十四世木津屋治郎兵衛の名跡を襲名すべく候補者が更に増え、本当に感謝の念でいっぱいです。時代劇でしたら、「おの子じゃ、おの子じゃ」とお殿様が大喜びする場面でございますね。

 そして何よりも、赤ちゃんはとてもとても可愛いです。

上宮之厩戸豊聡耳命の御加護の下



大阪市西区の展示会 2012年7月11日(水)

展示会 『「大阪の表玄関」西区〜その歴史と文化を探る〜』と銘打った展示会が行われています。この展示会で、当家木津屋の戦前の建物写真や、西区の昔の貴重な資料が展示されています。先日、少し見てきましたが、またじっくりと見てこようと思っております。お時間のとれるかたは、是非、ご覧下さい。
7月14日には、「堀江・新町の芸能・歴史」という名の講演会もございます。講師は、堀江の研究家であられる水知悠之介氏です。


大阪連続講座関連展示「大阪の表玄関」西区〜その歴史と文化を探る〜
大阪市立中央図書館1階エントランス 平成24年7月6日(金)〜18日(水)


厳島舞楽 2012年6月20日(水)

 先日、広島女学院大学名誉教授であられます、原田佳子(はらだよしこ)先生のお話を聞く機会に恵まれました。厳島舞楽(いつくしまぶがく)についてのお話をされたのですが、その中で一つ、とても興味深いことがございました。今から四、五百年前に、天王寺楽所から厳島神社に伝わった「拔頭」(ばとう)という舞が、いつしか天王寺楽所では廃れてしまい、舞われなくなっておりました。それが二百数十年の後、再び、厳島神社から天王寺楽所に伝え返されたと云う素晴らしいお話です。こうやって先人の努力によって舞楽の伝統が受け継がれてきたのかと思うと、今、四天王寺で目にする天王寺楽所による舞楽、そして雅楽の価値は、計り知れるものではございません。
 私もいつか、この舞楽・雅楽という素晴らしい伝統芸能を伝えるという仕事をしようと思います。この日は、天王寺楽所雅亮会による優雅な舞を見ることも出来ました。

平成24年6月12日 本願寺津村別院に於いて 広島女学院大学名誉教授 原田佳子先生のお話


浅井三代のお墓 2011年8月28日(日)

徳勝寺 お盆休みに、NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で有名になった、浅井氏のお墓に参ってきました。滋賀県長浜市にございます徳勝寺には、浅井三姉妹こと、浅井茶々、お江、お初の父である浅井長政と、その父の浅井久政、祖父の浅井亮政が祀られております。当家の家紋「丸に井桁」は浅井氏から継承されてきたもので、浅井氏は御先祖様であると考えられています。戦国の世、天下取りを賭けて勇敢に戦った御先祖様に、心通わせることが出来た一日でございました。

 当日は、長浜城歴史博物館で、NHK大河ドラマ特別展「江〜姫たちの戦国〜」も見てまいりました。浅井茶々や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等にまつわる品も展示されており、とても充実した内容の展覧会でございました。



冷泉布美子さん 2011年7月16日(土)

 冷泉家の冷泉布美子さんが亡くなられました。冷泉布美子さんは、冷泉家伝来の書物を公に開かれたものとし、後世に継承していくために力を尽くされました。今世での素晴らしき御活躍に敬意を表するとともに、哀悼の意を表します。これからも、空の上から皆を照らし続けられることと思います。

  秘められた 冷たい泉 暖めて 朝陽となりて 空昇る  木津屋治郎兵衛


 冷泉布美子(れいぜいふみこ)さん:歌道の宗匠、冷泉家22代為系(ためつぎ)氏の娘で、23代為任(ためとう)氏の妻。 平成23年7月12日逝去 享年94歳


聖霊会舞楽大法要 2011年5月18日(水)

舞楽 当家に於いて、最も崇拝する人物、聖徳太子様の御命日でございます。一般には、旧暦で2月22日とされておりますが、四天王寺さんでは、4月22日に「聖霊会舞楽大法要」を執り行っております。この日は、俗世の穢れを洗い流すが如く、しとしとと雨が降り続いておりました。石舞台や六時堂が濡れて輝き、心癒される一時でございました。
 本年は、木津屋創業三百周年を初め、聖徳太子様にまつわることなど、当家にとって意味深い出来事が重なりました。千四百年以上に渡り御加護頂いている聖徳太子様と御魂の重なりを感じれた一日でございました。


「聖霊会舞楽大法要」 平成23年4月22日 荒陵山四天王寺 石舞台前六時堂

写真:四天王寺六時堂 天王寺楽所雅亮会の舞人による舞楽奉納


「江〜姫たちの戦国〜」 2011年4月7日(木)

姫たちの戦国 木津屋の家紋「丸に井桁」は戦国武将で知られる浅井氏に起源がございます。浅井氏といえば、戦国大名の浅井長政が有名ですが、今はやはり、浅井三姉妹でございます。浅井三姉妹を描いたNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が放映中でございます。今日はすっかり、NHK大河ドラマの宣伝でございます。可愛いらしいお姫様がたくさん出て来られますよ。

NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」 NHK総合テレビ他 平成23年11月まで
出演 江(ごう):上野樹里、茶々:宮沢りえ、初:水川あさみ、徳川家康:北大路欣也、徳川秀忠:向井理、市:鈴木保奈美 他



大阪大空襲と東日本大地震 2011年3月30日(水)

 「あー、もうすぐ大阪大空襲の日だな。今年で66年か。」と、空襲で焼け野原になった大阪の町を思い浮かべていた矢先、東日本大地震が起こりました。テレビや新聞で次々と映し出される光景は、まさしく大阪大空襲直後の町を、アメリカ軍が撮影した写真と同じようなものでございました。町ごとすっかりなくなった光景は、私には66年前の大阪と重なって見えました。もちろん、私は先の大戦を経験しておりませんが、写真で見たりお家さんから聞かされたりしており、知らぬ間に疑似体験しているようでございます。大阪大空襲は、当家の建物と商い、そして家族をも破壊してしまいました。大阪大空襲で被害に遭われた御先祖と大阪の先人を偲び、静かに蝋燭の灯を灯すはずのその日が、今実際に起こっている映像に釘付けの日となりました。平和な日常の有り難さを、身に染みて感じさせられました。

大阪大空襲:昭和20年3月13日


小野妹子様と聖徳太子様 2010年7月22日(木)

献花式

 今年も6月30日に、小野妹子様のお墓参りに行ってきました。そしてその足で、聖徳太子様の御廟にもお参りいたしました。私の家と聖徳太子様は、とても深い縁がございます。私の中では、聖徳太子様は救世観音様となり、今も尚生き続けられていらっしゃいます。
 実は、7月19日の日も聖徳太子様の御廟に参らせて頂きました。何時参らせて頂いても叡福寺は気持が良く、死んだらここの墓に入りたいと思ってしまいます。小野妹子様のお墓は太子町科長(しなが)なのか、それとも大津市小野なのかと良く議論がなされます。私はどちらも小野妹子様のお墓である考えます。分骨されたのかもしれません。小野氏一族は小野の地に小野妹子様のお墓を建てたいと願ったかもしれませんが、小野妹子様の御心は、科長の地に眠ることだったのではないでしょうか。私が感じるようにように、聖徳太子様の眠られている太子町叡福寺の側に居たいと云うものではなかったでしょうか。

写真:道祖小野妹子墓前祭 献花式



大阪大空襲 2010年3月20日(土)

 大阪大空襲からちょうど65年のその日、大阪大空襲についての講演会に行って参りました。戦争というと広島、長崎ばかりが注目されがちですが、ここ大阪における戦争の被害も相当なものでございました。もちろん東京やその他の都市も同様でございましょう。大阪においては、3月13日の夜に始まった大阪大空襲は、それはそれは悲惨なものです。当家も、土蔵を残し全てが焼き払われました。講演会では、空襲体験者の悲痛な声を聞かせて頂きました。しかし、その大阪大空襲を体験された歴史の証人は年々減っていきます。それは仕方のないことではございますが、私達は戦争を伝えていかねばなりません。戦争体験者の声に耳を傾け、それを伝えていくことが、今を生きる私達の義務でございます。私のできること、為すべきことは、大阪大空襲を体験された方のお話を聞き体系化していくことでございます。できることから行動していきたいと思います。体験者の方、どうぞお声を聞かせて下さい。宜しくお願いいたします。

「焦土大阪〜写真で見る大空襲〜」講演会 平成22年3月13日 ピース大阪にて
講演 小田康徳先生 水知悠之介先生


テレビの取材 2009年12月20日(日)

古文書

 先日、東京のテレビの方が取材に来られました。当家の歴史に興味を持たれたとのことでした。普段より、お家の歴史については良く勉強しているつもりの私でございますが、いざ人様にお話するとなると、結構難しいものでございます。これからも、更なる調査と研究に力を入れていかねばと痛感させられました。ただ、テレビの取材があったお蔭で、じっくりと古文書や古道具を調べ直したりする機会に恵まれました。また、古文書などの調べ物を通して、お家さんや母と遠い昔の色々な話が出来、とても有意義な時間を過せました。今後も時間を作って、色々な調べ物をするのが楽しみでございます。きっと来年も、良い発見があるような気がいたします。



神農祭 2009年12月3日(木)

神農祭 11月23日、少彦名神社の神農祭に参らせて頂きました。少彦名神社の御祭神は、少彦名命(すくなびこなのみこと)と神農氏(しんのうし)で、薬の神様として親しまれております。私も普段より良く参らせて頂いております。少彦名神社に併設されている「くすりの道修町資料館資料館」には、道修町に伝わる古文書が保存されております。その中に、木津屋の御先祖の記録も多数残っており、当家の御先祖も長年に渡りお参りしていたとようでございます。当家と道修町及び少彦名神社は、遠い昔よりとても縁が深いようでございます。23日の日は、とてもポカポカ陽気で、最高の縁日日和でございました。

神農祭:11月22日、23日。写真:少彦名神社の神殿、巫女さんのお神楽。


四天王寺さんの舞楽 2009年8月25日(火)

四天王寺の舞楽 四天王寺さんの「篝の舞楽」を鑑賞してまいりました。「篝の舞楽(かがりのぶがく)」は、天王寺楽所 雅亮会により奉納され、今年で55回目の、歴史ある行事でございます。
 開演直前に雨が降ったお蔭で、空気が澄み渡り、涼やかな風が吹き、御仏様が見守る中、とても気持ちよく鑑賞出来ました。私も今世中に、楽人として雅楽の奉納をしたいと思いました。

 「篝の舞楽」 平成21年8月4日 四天王寺伽藍内 講堂 前庭



小野妹子のお墓参り 2009年7月26日(日)

小野妹子のお墓 少し前になりますが、毎年恒例になっております、小野妹子様のお墓参りに行ってきました。今年のお参りは、意識が飛鳥時代にまで飛んだと言いますか、小野妹子様の意識に同調出来たと言うか、何かそんな感じでございました。

 その日の様子は、小野妹子様のサイトをご覧下さい。 小野妹子



雅楽 舞楽 2009年6月21日(日)

 雅楽家の東儀俊美(とうぎとしはる)さんのお話を聞かせて頂ける機会に恵まれました。雅楽というと全く非日常的で、一体どんな人がされているのだろうと思われるかもしれませんが、東儀俊美さんは、とても気さくで朗らかな方でいらっしゃいます。東儀家は、元々は大阪四天王寺の出身であられ、私なんかの感覚に近いように感じ、とても近親感の沸く方でいらっしゃいます。
 江戸時代が幕を閉じ東京に皇室が移ったことで、雅楽の楽人も、東京に呼び寄せられました。しかし、それ以前の長い雅楽の歴史は、四天王寺、宮中、春日大社に置いて継承されてきました。四天王寺におきましては、側の伶人町(れいじんちょう)という町に楽人が集まって住んでおりました。この東京遷都の時の話や、たくさんあった雅楽の曲から、現在に伝わる雅楽が選定されたお話などを聞かせて頂けました。
 その日は、素晴らしい雅楽と舞楽も堪能出来ましたが、歴史のある文化が奏でられたその空間には、とても良い気が満ちておりました。
 (6月15日 浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院にて)


名跡襲名会 2009年3月11日(水)

 日本の伝統的な、名跡襲名の仕来り(しきたり)を継承すべく、「名跡襲名会」を発足いたしました。各家々の名跡を襲名されておられる方、賛同される方のご参加をお待ちしております。

名跡襲名会


なつかしの昭和堀江展 2008年12月26日(金)

堀江展 12月6日から18日まで、「なつかしの昭和堀江展」が開催されました。堀江の戦前の写真を中心に、堀江の歴史が紹介されました。「木津屋」の戦前の写真もパネル展示して頂けました。60年ぶりに一般公開された写真に感無量でございました。戦前の「木津屋」は、大阪ではとても珍しい蔵造り建築の商家でございました。地方の豪商に比べると家屋敷は小そうございますが、歴史的に見て、大阪における蔵造り商家の写真が一般公開されたことは、とても意義のあることと確信しております。
 14日には、「堀江底力フォーラム」というテーマでパネルディスカッションが行なわれました。堀江を代表する大店「あみだ池大黒」の五代目小林林之助氏等が、堀江について熱く語られ、皆様の堀江に対する熱き心に大変感銘いたしました。
 今の堀江もとても素晴らしい町でございますが、時には、堀江の歴史に触れるのも良いものです。今後も、このような催し物が開催されることを切に願います。

 主催 特定非営利活動法人 なにわ堀江1500 大阪市立中央図書館エントランスギャラリーにて。



近江 五個荘町 2008年9月28日(日)

近江 五個荘町 先日、近江商人の屋敷町、五個荘町を散策いたしました。近江商人は、天秤棒一本から身を起こしたと言われ、私達商人の鏡でございます。大阪南堀江より車でまいらせて頂きましたが、昔の近江商人は重い天秤棒を担ぎ、この長い道のりを歩いて行き来しました。これには、感服でございます。
 近江商人が心に刻んでいた「買い手良し、世間良し、売り手良し」の「三方良し」は、今の時代に、最も必要とされている理念ではないかと思います。最近、「売り手良し」だけを追求した企業の不祥事を良く見聞きいたします。
 私も、近江商人の「三方良し」の精神に学ばねばと痛感いたします。
 整然とした町並みに、商人の理想の姿を見た心持ちで、大変勉強出来た一日でございました。有難うございました。



和の学校 2008年9月16日(火)

和の学校 池坊由紀 「和の学校」のシンポジウムが開催され、私も行ってまいりました。「和の学校」とは、古来より日本人が持っていた素晴らしい心、文化、習慣など、今では忘れられつつあるそれらのものを見直し、生活に取り戻していこうという活動でございます。
 狂言大蔵流当主の茂山千五郎さん、茶道裏千家家元の千宗室さん、華道池坊次期家元の池坊由紀さん等が参加され、個性豊かな各人の見解で、「和」のディスカッションが行なわれました。
 私は、「和」の素晴らしさと、後の世に伝えていくことの重要性を痛感いたしました。また、終始なごやかな雰囲気で、とても心が綺麗になれたように感じました。私達日本人は、「和」を思い出し、「和」を楽しみ、「和」を伝えていく、この三つが大切なのではないでしょうか。今後も期待の「和の学校」でございます。


9月6日 浄土真宗大谷派難波別院 御堂会館
出演者 千宗室、茂山千五郎、宮崎緑、桂文我、仁志田博司、川勝平太、池坊由紀(敬称略)



篝の舞楽 2008年8月11日(月)

舞楽・雅楽 先の8月4日、四天王寺さんで「篝の舞楽」の奉納を見てきました。すっかりタイムスリップした気分を味わうことが出来ました。日本には、素晴らしい古典芸能が数多くございますが、この舞楽・雅楽は、完全に別格でございます。1000年の歴史と伝わっております。天王寺楽所 雅亮会の素晴らしい演奏と舞に、今いる場所と時代を忘れてしまいました。
 来年の「篝の舞楽」の日も、きっと私は四天王寺さんに居ると思います。



蔵造り建築 2008年7月30日(水)

蔵造り商家

 なんと63年ぶりのことでございます。捜し求めていた念願の品が発見されました。それは戦前の木津屋の建物の写真でございます。大阪大空襲の後、木津屋の建物の写真は存在しないものとされてきました。私も探してはおりましたが、出てこない場合の腹も括っておりました。それが、本日意外な所で発見されました。それは木津屋が昭和初期に出していた広告物でございました。
 木津屋の戦前までの建物は、蔵造り建築であったと聞いておりましたが、実は半信半疑でございました。何を申せ、大阪で蔵造りの町家や商家の建物を目にしたことがなかったからでございます。蔵造りの建造物と言えば埼玉県川越市。本当に大阪に蔵造り建物の商家があったのだろうかというのが本音でございました。しかし、当時のごりょんさんの証言は本当でございました。写真を見るに、まさしく蔵造り建築でございます。歴史的に見ても、大阪の蔵造り商家は珍しいのではないでしょうか。
 この写真が見つかったのも、神様、御仏様のお導きによるもので、本当に感動のありがたい一日でございました。

 (写真)川越の蔵造りの町並みに見られるような重圧な観音開き扉の窓。



伝統芸能 文楽 2008年7月24日(木)

竹本義太夫の墓

 運の良いことに、今年に入って二回、文楽を楽しむことが出来ました。文楽、いわゆる人形浄瑠璃は、とても古い歴史の芸能でございます。人形つかいが黒衣を着て立ち回る様子は、現在の進んだ文明社会から見ると滑稽でもあります。しかし、歴史ある伝統芸能の、洗練された技のせいでしょうか、観覧中は浮世のことをすっかり忘れさせてくれました。
 義太夫節の開祖である竹本義太夫が、大坂道頓堀に竹本座を開設したのが、貞享元年のことです。木津屋の開業から28年遡ります。当家の代々の者も、この人形浄瑠璃を見に、道頓堀の竹本座や豊竹座に出かけたのではないかと、思いを馳せたのでございました。
 (写真は、天王寺区大道の超願寺にある、竹本義太夫のお墓でございます。)



小野妹子墓前祭 2008年7月7日(月)

小野妹子

 木津屋の御先祖である、小野妹子のお墓参りに行ってきました。日本史では、小野妹子の命日は不明というのが通説でございます。小野妹子を華道の道祖と崇め、また京都六角堂をお守りされている池坊様の方では、六月参拾日を命日とされております。その命日に執り行われているのが、「道祖小野妹子墓前祭」です。
 私としては、命日があった方が、御先祖の御祀りができるので、池坊様と一緒にこの日を迎ております。
 木津屋では、長年、唐薬(漢方薬)を扱ってまいりましたが、妹子爺さんは、1400年も前に遣隋使として隋(中国)に渡りました。長い時を越え、中国という縁で繋がっており、とても感慨深いものがございます。また、薬の神様であられる神農様も中国の神様で、木津屋で御祀りいたしております。


古文書 2008年5月29日(木)

古文書

 木津屋に伝わる古文書を解読したいと考え、昨年より、古文書の講義に参加しております。古文書の専門家であられる、大阪市史料調査会の野高宏之先生に教えて頂いております。私は、これまでの人生で、古文書なるものに取り組んだ経験がなかったので、教えて頂く一つ一つのことが全て、とても新鮮でございます。学生時代は古典の授業が嫌いだった私なのでございますが、こんなことならもっと真面目にやっておけば良かったと悔やむ、今日この頃でございます。
 しかし、野高宏之先生のおかげで、以前は端から端までチンプンカンプンだった古文書ですが、最近は所々読める箇所が出てきました。慣れるということは凄いものだなと我ながら関心いたします。
 木津屋の研究には古文書は外せないので、心して勉強していきたいと思います。と申しましても、この勉強が結構楽しいので、私には遊びのように感じられます。本当に楽しい趣味が一つ増えたという感じで、とても幸せでございます。


伝統 2008年4月22日(火)

 春という時節柄、今月は大きないけばな展を二つも見ることが出来ました。どちらも伝統ある流派の家元が催されたいけばな展でしたが、共に、格式ある伝統と斬新なアイデアの融合という印象を受け、大変感銘いたしました。先に見た池坊さんは、極めて古い伝統をお持ちでございますが、伝統を守りつつ伝統だけに捉われていないという感がございました。勿論、凡夫の目で見た印象ではございますが、何物にも捉われない素人ゆえ、純粋な目で見た感想でございます。
 私ども木津屋にとっても、勉強になることが大変多うございました。また、心が和まされた一時でもございました。暖かい春の日に、豊かで有り難い時間を過すことが出来ました。


大阪老舗学 2008年3月2日(日)

 去る2月28日、大阪「のれん」百年フェアの「大阪老舗学」というテーマのパネルディスカッションを覗かせて頂きました。これは、大阪の老舗企業による大阪「NOREN」百年会と、大阪市の主催によるものでございます。パネリストには、大蔵流狂言方の茂山千五郎家十三世当主 茂山千五郎さんや、大日本除虫菊株式会社 代表取締役会長の上山英介さん等が見えられ、「老舗学」について、熱く語って頂けました。老舗店が継続して経営してこれたコツや、代々継承していくことの難しさなど、参考になるお話が満載で、とても素晴らしい会でございました。
 温故知新が再認識されている今の時代において、このようなお話が聞けたのはとても有意義でありがたいことでございました。お家の復興に尽力していかなければならない私には、身に沁みる言葉の数々でございました。これからの日々の商いに生かしていきたいと思います。


素晴らしい一年の幕明け 2008年1月7日(日)

土佐稲荷神社

 新年、明けましておめでとうございます。また、素晴らしい一年の幕が明けました。本当にありがたいことでございます。元旦から一週間、日頃からお世話になっているお寺・神社・教会に参拝いたしました。私の場合は、一年中、常にありがたいことばかりが起こるので、何時何処に参拝しても、全てがお礼参りでございます。おそらく、御礼御礼を繰り返して、人生を終えるのではないでしょうか。誠に人生とは、生まれてから死ぬまで、感謝に始まり感謝の連続で、一生がお礼参りのようなものではないでしょうか。そして死んだらあの世で、神様仏様に御礼を言って締めくくる。そんな感じでしょうか。
 では、今年一年が、木津屋にとっても、世界中の皆様にとっても素晴らしい一年でございますように。



十三世 木津屋治郎兵衛、名跡襲名 2007年12月17日(月)

 本日十二月十七日、私は、「十三世 木津屋治郎兵衛」の名跡を襲名いたしました。この日が決まってから今日までの日々は、あっと言う間に時間が過ぎ去ってしまいましたが、とても有意義に過すことが出来ました。そして本日、無事この日を迎えられたことを、感謝せずにはおられません。300年前より、脈々と受け継がれてきた「木津屋治郎兵衛」の名跡を、この私が引き継ぐことができることは、誠に感無量でございます。これからは、この「木津屋治郎兵衛」の名跡を汚さぬよう、またより一層引き立てていけるよう、精進していく覚悟でございます。
 そして、本日十二月十七日は、先代「十二世 木津屋治郎兵衛」の命日でございます。意志半ばにしてこの世を去った、十二世 木津屋治郎兵衛の意志を引き継ぎ、この木津屋を立派に再興し、後世にしかっりと伝えて行きたいと思います。
 改めて、御先祖様、家族、周りの人々に感謝いたします。本当にありがとうございます。

名跡襲名