鹿島神宮 ( かしまじんぐう )と、大宮司家の子孫 木津屋について
鹿島神宮は、大宮司家によって守られてきました。初代から4代までの大宮司は木津屋のご先祖です
大宮司家を担ったのが中臣氏 ( なかとみ )です
後に同族の大中臣氏、鹿島氏が大宮司を務める
鹿島神宮 楼門 2008年 ↑
左:本殿・拝殿 正面:楼門 右:高房社
2018年
地震による倒れ、再建された大鳥居
2018年
大宮司は神職の長です。鹿島神宮の神職は、次のようにたくさんありました (永正18年)
大宮司、大禰宜、大祝、総大行事、物忌、押領使、総追捕使、宮介、検非違使、永助禰宜、行事禰宜、枝家 禰宜、中三郎禰宜、新三郎禰宜、藤七禰宜、弥二郎禰宜、又二郎禰宜、孫五郎禰宜、六郎三郎禰宜、世谷彦太 郎禰宜、千富権禰宜、羽生権禰宜、世谷権禰宜、田所祝、新祝、坂戸祝、和田祝、益田祝、沼尾権祝、坂戸権 祝、一ノ{仗、二ノ{仗、大判官代、北判官代、彦七判官代、 六郎三郎判官代、平太郎判官代、太郎次郎判官 代、左近次郎判官代、大神、中神、小中神、家司神、榎村神、田神、萩原神、検校神、笛太神、弥太郎神、五 郎神、大長、若長、青長、本田長、又太郎太夫、新太夫、主殿太夫、太郎太夫、案主所、北条案主、諸司、酒 掌、引頭、物申、専当、仕承、検校、八乙女、楽人
鹿島神宮宮司 東実 著 「鹿島神宮」(學生出版) より引用
鹿島神宮においては、武甕槌大神 ( たけみかづちのおおかみ )と呼びます
建御雷之男神( たけみかづちのおのかみ )、建御雷神 ( たけみかづちのかみ )などと表記されます
中臣氏の祖神です。 鹿島神とも呼ばれます
鹿島神宮 拝殿・本殿 2008年 ↑
雷の神様、剣の神様、刀の神様とされています
武甕槌大神が祀られている本殿
鹿島神宮 拝殿・本殿 2018年
鹿島神宮 仮殿、東神門 2018年 ↑
木津屋の先祖である高倉下(たかくらじ)は、神武東征のおり、タケミカヅチより布都御魂(ふつのみたま)という剣を賜り、神武天皇に献上しました。そのことが勝利に繋がりました
はじめ、神武天皇がナガスネヒコとの戦いに行き詰っていました。その時、高倉下に夢で神託があり、布都御魂を献上することとなりました
12年に一度のお祭り、御船祭(みふねさい)
← 「神社紀行 27 鹿島神宮・香取神宮」 学研 〜表紙 : 御船祭
令和8年(2026年) 観覧いたします
9月2日(水)
御船祭は、木津屋のご先祖が始めました
鹿島神宮から勧請された鹿島神社
近畿では珍しい。同じくタケミカヅチを祀る春日神社はとても多い
大阪市北区豊崎6丁目6-4
建御雷神を祀る神社
鹿島神宮から武甕槌命が勧請されました
ご祭神 : 天児屋根命、比売御、神経津主命、武甕槌命
20210年
大小橋命 ( おおおばせのみこと )は、鹿島神宮の創祀者から5代目の子孫で、中臣鎌足からは、10代前の先祖
← 産湯稲荷神社
大小橋命の生誕地
大小橋命胞衣塚 →
枚岡神社の御鎮座している辺りは、中臣氏の拠点だったと考えられます
← 若宮神社
ご祭神 : 天押雲根命 ( あめのおしくもねのみこと ) 水神様
中臣氏の祖神である天児屋根命の御子神
枚岡神社 : 大阪府東大阪市出雲井町7-16
中臣須牟地神社 ( なかとみすむち )
この地に中臣連の祖である天種子命 ( あめのたねこのみこと )が住んでいました
← 2010年
中臣須牟地神社 : 大阪府大阪市東住吉区住道矢田2丁目-9-20
住道廃寺跡/須牟地廃寺跡( すむち はいじあと )
藤原不比等による建立
須牟地廃寺跡 : 大阪府大阪市東住吉区住道矢田8丁目3
木津屋のご先祖には、社家(しゃけ)がいくつかございます。社家は、神社の神職を代々世襲して務める家です
鹿島神宮の他には、熱田神宮、八坂神社(祇園)、津島神社、上賀茂神社、籠神社、石清水八幡宮、大宰府天満宮、宗像大社、伊勢神宮の社家の血を継承しています
社家は、熱田神宮の大宮司家のような宮司の長の家と、権宮司の家などもあり、大きな神社ほど多くの社家があったようです
【 四方拝 】
伊勢神宮、熱田神宮、上賀茂神社、石清水八幡宮、鹿島神宮は、宮中で元旦におこなわれる四方拝(しほうはい)の対象になっています
鹿島神宮 : 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
鹿島神宮大宮司家の子孫 木津屋 大阪府大阪市西区南堀江4-23-27 06-4391-0704