上賀茂神社

賀茂別雷神社

 上賀茂神社 ( かみがもじんじゃ )と、社家の子孫 木津屋について

 上賀茂神社は京都市北区の神社。 正式名称は賀茂別雷神社( かもわけいかづちじんじゃ )


社家

賀茂氏

 古代の日本には、大きく分けて二つの賀茂氏がありました。賀茂県主氏 ( かものあがたぬしうじ )と賀茂朝臣氏氏 ( かものあそんうじ )です

賀茂県主氏

 上賀茂神社の社家は、賀茂県主氏によって守られてきました

賀茂氏の子孫


 上賀茂神社は、御祭神の子孫が創祀し、社家によって守られてきました。社家の初代から30数代くらいまでは木津屋のご先祖です (代数は諸説あり)


写真 : 賀茂県主氏/賀茂氏の子孫 ↑ 

玉依比売命

玉依比売命


 ← 写真 : 玉依比売命 ( たまよりひめのみこと )を祀る片山御子神社( かたやまみこじんじゃ )


 御祭神 賀茂別雷大神( かもわけいかづちのおおかみ )の母です。玉依日売とも表記されます



本殿

上賀茂神社 本殿


 大きな丹塗矢(にぬりや)


上賀茂神社 本殿


 国宝




葵祭

 葵祭 ( あおいまつり )は、京都三大祭りの一つです

葵祭の起源

 起源は、欽明天皇の時代で、この時代の宮司は木津屋のご先祖です。葵祭を始めたのは木津屋のご先祖でございます


葵祭の観覧

 令和七年、観覧の会、参加者を募っています

 5月15日(木)


源氏物語

 源氏物語 (第九帖 葵)に登場するお祭です → 紫式部


神馬

上賀茂神社 神馬


 希少な神馬



上賀茂神社 神馬上賀茂神社 神馬


 




紫式部

紫式部 歌碑上


 紫式部がお参りしています


 紫式部が詠んだ歌

 「 ほととぎす 声まつほどは 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし 」



紫式部のページ → 紫式部


楢の小川

ならの小川


 境内を流れる楢の小川/ならの小川

 正式名称は御手洗川( みたらしがわ )



ならの小川





ヤタガラス

ヤタガラス


 上賀茂神社の御祭神 賀茂別雷大神の祖父は、鴨建角身命 ( かもたけつぬみのみこと )と云い、下鴨神社に祀られています。この鴨建角身命は、八咫烏 ( ヤタガラス )であると伝わっています。八咫烏は神武天皇が東征の折に導いたと伝わります


写真 : 阿倍王子神社御烏社 八咫烏大神の御烏尊像 2022年 


賀茂大社

賀茂大社


賀茂社

 創建から長らく、賀茂社と称していました。上賀茂神社と下鴨神社がひとつで賀茂社です。今も、二つの神社を総称して賀茂神社と呼ばれています

 写真 : 「賀茂大社」の碑


下鴨神社

 下鴨神社( 賀茂御祖神社 )は、上賀茂神社の創祀の後にできたと伝わっています


糺の森

 元糺の森 → 木嶋坐天照御魂神社 (木津屋の旅)



賀茂神社

 上賀茂神社・下鴨神社と同じ御祭神を祀る神社が各地にあります


 寝屋川市の賀茂神社 → 寝屋川 賀茂神社 (木津屋の旅)



社家町

上賀茂神社 宮司


 上賀茂神社の南側に社家町があります

 かつては社家の一族が住み、今も屋敷が残されています




斎院

 社家とは別に、賀茂神社に奉仕する斎院 ( さいいん )という役職がありました。賀茂斎王、賀茂斎院初とも云います。初代から35代の斎院の内33人は、木津屋のご先祖がかかわっています

 斎院は、戦後の葵祭の斎王代につながっています



社家

 木津屋のご先祖には、社家(しゃやけ)がいくつかございます。社家は、神社の神職を代々世襲して務める家です

 上賀茂神社の他には、八坂神社(祇園)、津島神社熱田神宮、籠神社、石清水八幡宮、鹿島神宮、大宰府天満宮、宗像大社、伊勢神宮の社家の血を継承しています

  その中でも上賀茂神社は、宮司をつとめた代数が30数代ほどと長く、木津屋とは縁が深い神社です


 賀茂別雷神社(上賀茂神社) : 京都府京都市北区上賀茂本山339


 上賀茂神社社家の子孫 木津屋  大阪府大阪市西区南堀江4-23-27   06-4391-0704


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