鼬川(いたち川)

今は無き、鼬川の歴史を綴ります。

四天王寺建立

 荒陵(あらはか)の四天王寺建立に、絶大な貢献をしたのが、鼬川(いたちがわ)でございます。鼬川がなかったら、四天王寺の建立はとても困難なものになったと思われます。しかし、今は埋め立てられ、その名前すら、人々の記憶から消え去ろうとしております。その偉大な鼬川の在りし日の姿をここに書き留めておきたいと思います。

鼬川の位置

【比較的近代に造られた部分】(調査中)

鼬川の跡

 日本橋辺りから逢坂にかけての部分は、比較的早い時期に埋め立てられたと考えられます。それは、土地が高くなっており、水が枯れてきたことに因るのではないかと推測いたします。

 また、旧三島町辺りから西の部分は、四天王寺建立当時はなかったのではないかと推測されます。これは、土砂の堆積(平野地の拡大)に因り、必然的に川が延びていったと考えられます。


鼬川に架かる橋

西側から順に

鼬川橋りょう鼬川橋りょう


上の写真 : JR環状線の鼬川橋りょう (芦原橋の近く)


くり船

船出橋 くり船


船出橋跡の近くに造られた、「くり船」のモニュメント

明治11年に前長12メートルのくり船が発掘されました。

二本のクスノキを木組みでつないだ船で、6世紀ごろのものと推測されています。


小野義持の功績

小野義持

日下小野義持

 小野義持は、遣隋使で有名な小野妹子の八男で、幼名を多嘉丸(多嘉麿)と申しました。聖徳太子様より日下の姓(かばね)を賜りました。当時、小野氏は臣の姓(かばね)を賜っていました。

 小野妹子と同じく、晩年は仏門に入り、聖伝院永證(しょうでんいんえいしょう)となりました。


鼬川の開削

(調査 執筆中)


鼬川の逸話

鼬(いたち)【その一】四天王寺建立の際、「木の津」に集められた材木を、どのようにして荒陵(あらはか)の地へ運ぶかということになりました。その時、小野義持の夢枕に鼬(いたち)が現れ、運河を掘る道を告げました。その通りに開削するとうまくいき、それが鼬川となりました。そして、見事に四天王寺は建てられました。

【その二】明治11年(1878) 鼬川と荒川の貫通工事において刳舟(くりぶね)が発見されました。その後、その地は「船出町」と名付けられました。


(調査 執筆中 〜気長にゆっくりと更新いたします)


鼬川の調査

鼬川跡地今となっては、なかなか難しいことではございますが、長い目で鼬川の名残を調べていきたいと思います。

写真:鼬川が流れていた所の建物が壊されることがあります。その土壌を観察して、川の形跡を探します。