泉涌寺

【 第27回 木津屋の旅 】

 2022年 令和4年11月20日(日)


 木津屋を発つと、木津川の橋の上できれいな青空が出迎えてくれました

木津川青空


大阪の木津川 

 大正駅で半分のメンバーが集まりました


東福寺駅

東福寺駅 地図


 すべてのメンバーがここで合流

 「 第一回 木津屋の旅 」からお参りのユカちゃんも駅近くで出逢いました


 東福寺駅のそばにあった地図(左が北) → 



泉涌寺道

泉涌寺東林町 陶芸


 ギャラリーのようなところで、麗しい陶器をみつけました



御寺 泉涌寺

御寺 泉涌寺 ( みてら せんにゅうじ )

 総門をくぐり山内へ

秋田犬秋田犬


秋田犬と出会う

2歳



浴室

泉涌寺 浴室


 はじめにお風呂がありました



仏殿

 釈迦如来さま、阿弥陀如来さま、弥勒如来さまが祀られています

藤部恭代 X 泉涌寺


 仏殿の全体を使って、きれいな絵が展示されていました

 画家の藤部恭代さんの展示
 「藤部恭代 X 泉涌寺 インタタイダルワールド2022」



藤部恭代さんのサイト → Yasuyo Fujibe 藤部恭代 


泉涌水屋形

 いつもは閉まっている泉涌水屋形

泉涌水屋形


 水が美しい音を奏でて、湧き出ていました

 お二人の後ろに、きれいな虹がかかっています!


泉涌水屋形 藤部恭代


 ここにも、藤部恭代さんの絵と、生け花がありました


 生け花は、「華道 月輪未生流」の創流90周年記念の献花です


月輪陵

月輪陵


 月輪陵 ( つきのわのみささぎ )へ



月輪陵


 ただただ感動



月輪陵月輪陵


 10分間ほどの天体ショーがありました



御座所

 天皇皇后両陛下、皇族方の御休所として使われている御座所(ござしょ)

庭園

御座所 庭園


 御座所の御庭は、紅葉が真っ盛りでした

 そして、紅葉の京都とは思えない静けさ


御座所 庭園御座所 庭園


御座所 庭園御座所 庭園


 天皇陛下も御覧になられるお庭です

 治郎兵衛につかまった人は、写真撮影会となりました



霊明殿

 かみんぐす〜ん


笹屋伊織

 笹屋伊織さんの茶店でほっこり。 「 み月 」というお菓子を頂きました

泉涌寺 茶店泉涌寺 茶店泉涌寺 笹屋伊織


泉涌寺 菊


 笹屋伊織さんは、木津屋と5年ちがいの1716年の創業です


 献菊展が行われていました → 



鎮守社

 早朝の雨(天)のおかげで、コケがとても麗しい

鎮守社 コケの絨毯鎮守社




楊貴妃観音堂

 とても珍しい観音様です

楊貴妃観音楊貴妃観音


 楊貴妃観音堂の横も、とてもきれいな紅葉でした


 やはり中国の人に人気があるのか、お参りの人を見かけました


大門

泉涌寺


 大門の手前、雲龍院への入り口で記念撮影



悲田院

 泉涌寺の塔頭、悲田院(ひでんいん)にお参り

悲田院


 きれいな山門


 見晴らしの良いところでした

悲田院悲田院


 聖徳太子さまの精神が、ここにも受け継がれています

聖徳太子 薨去1400年 


泉涌寺


 風情のある坂道



戒光寺

 泉涌寺の塔頭

戒光寺


 お昼ごはんが後に押される中、お参りして良かった!



十割そば

パンとコーヒーとひらりんと・・・

十割そば


 秋の新そばで打った十割そばを頂きました



十割そば


 一階と二階の席に別れました

 2階のお席からは、お庭の木と東福寺の北大門が望めました



新熊野神社

 新熊野神社 ( いまくまのじんじゃ )

後白河上皇

新熊野神社


 樟社は、後白河上皇がお手植えされた楠の木が祀られています

 樹齢は800年


八咫烏(やたがらす)新熊野神社


新熊野神社


 とてもきれいな鈴の音です



 天皇陛下(今上陛下)が植樹された椥(ナギ)の木が育っていました


京都散歩

三十三間堂

三十三間堂


 京都駅まで散策しながら歩くことに


鴨川

鴨川


 鴨川の塩小路橋を渡って、京都タワーを目指す



京都駅

京都駅前


 半分のメンバーでディナータイム

 京都駅のすぐ前


京都タワー京都タワー


 京都タワーを見ながらお酒が飲める

 とてもステキなロケーション


京都駅前京都タワー 羅城門

 ゆっくりさせて頂きました

 お店から出ると、道が雨で濡れていました
 いつもいつもナイスタイミング!


 京都駅の前には、平安京の羅城門のきれいな模型がありました ↑ 


このページは、少しずつ掲載していきます


【 泉涌寺と聖徳太子 】

 今年は、聖徳太子さま薨去から1400年です。100年前の薨去1300年の年、法隆寺の管主であった佐伯定胤猊下は、「 聖徳太子千三百年御忌奉賛会 」をつくり、盛大な遠忌法要を執り行いました。その佐伯定胤猊下が、若い頃に修行をしたのが、この泉涌寺です。
 佐伯定胤猊下は、塔頭の雲龍院にも住まわれていました。

聖徳太子 薨去1400年


【 いつもの不思議話 】

 泉涌寺さんのことをまったく知らずにお参りしました

 ○ PR動画で「月のあかり」を唄いましたが、月輪陵があり、月にゆかりのあるお寺でした

 ○ 2日前、読みかけの本を読むと、「月輪」の言葉がありました +α

 ○ 霊明殿において、開けられていた過去帳に、月光菩薩の名前がありました

 ○ 帰宅してすぐ、意図せずにかけたCDの初めの曲が「月の光」でした

 他にもいくつか    by 治郎兵衛



★ 「 木津屋の旅 」は、5月と11月 +αです。ごいっしょしましょう! 次の旅のご案内


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